HISTORY 6

HISTORY 6

さて、少し時は遡りますが、農作業をさせてもらっていた頃(2022年)からUKIYO TEAの準備は始まっていました。
UKIYO TEA」という名前は、茶業に行き着いた時(2021年)にはすでに決まっていました。寧ろそれしか浮かばなかった。

わたしは「浮世」という言葉が大好きです。
それはなんだか私の思う生きづらい世の中を当たり前のように肯定してくれる言葉である気がするから。この世は辛く、苦しいもの。逃げたくても簡単には逃げられなくて、地に足つけて生きるのなんて一握りの人間しかできやしない、ならいっそのこと浮いて漂って流れのままにただ生きる、それだけでいい。

諸説たくさんありますが、私はそんなふうに「浮世」を捉えていて。だからこの言葉は、世の中を辛く生きづらいと思っている自分をも肯定してくれている気がして、大好きなんですよね。

そんなUKIYO TEA3つのタイトルでお茶をつくることもこの名前が決まったのとほぼ同時に考えついていました。
そのタイトルは「浮ーuki」「憂ーurei」「営ーitonami」。
これは私自身、生きていくのにとても大切な、カギになる感情を表しています。(それはMoodで詳しく説明しています。)

私はこのタイトルにのみに従ってお茶をつくります。私が変わればお茶の内容も変わります。具体的に言うならば、例えば今のわたしが思う「浮ーuki」という感情が紅茶ベースのフレーバーティーだったとします。だけれど、もしわたしの思う「浮ーuki」の感情が変わった時は、もしかしたら紅茶ベースの違うフレーバーティーになるかもしれない、もしかしたらほうじ茶ベースのフレーバーティーになるかもしれない、それは私にも分からないけれど、想いが変われば中身は常に変化するということです。

お茶の常識はタイトルがあれば、毎年同じ味を作り出す。それがブレンダーの仕事だということも本で読んだことがあります。だけれど、UKIYO TEAは私の自己表現のお茶なので、私が変われば中身も変わっていきます。変わることがスタンダードなお茶です。

紅茶についてずっと記述しているので紅茶ブランドだと思われている方がほとんどだと思うのですが、仙霊の地で育つ茶葉を使うということ以外は何も決めていないので、紅茶だけに関わらず、色んなお茶で表現します。だからその時だけの出会いがあるお茶だと思っています。

その3タイトル。UKIYOTEAにはそれぞれのタイトルのムードを表してくれるキャラクターが必要でした。そのキャラクターがパッケージにも描かれている花魁「紫(むらさき)」です。

なぜ、浮世絵風イラストの花魁なのか。

調べた訳ではないので根拠は全くありませんが、私のルーツには花魁がいたと思っています。そのエピソードをお話しします。

私は中学生の頃、教科書でみた浮世絵に衝撃を受けました。柔らかな曲線で描かれる美人画は美しく妖艶でありながら、どこか女性の芯の強さも感じる。初めて浮世絵をみた日以来、ずっと魅了され続けてきました。
浮世絵を観ているときだけ自分の心が解放されて、すべてありのままの自分を認めてくれるようなそんな気がする。浮世絵の前では、わたしの陽の部分も、陰の部分も、すべてが自由で、すべてが大切だと思える。しかし、これは以前のHISTORYよりずっとお話ししてきたことです。実はもう一つ私を惹きつける重要な理由があります。

それはわたしの中にいる、前世の子。
私はあまりスピリチュアルとか興味ない方なのですが、なぜか自然と中学生のときくらいから自分の中にもう1人の子が存在することを認識していました。それは何も二重人格とかではなくて、私に命(魂)のバトンを繋いだ子。私がこれほどまでに「表現したい」しいては「この感情をなんとしてでも表に出さなければ」と突き動かされるのは、その子にお願いされている気がするからなんです。

その子のことはある一部ですが、結構鮮明に人生や生き様を語ることができます。それはまたYouTubeなどを使って映像でお話しようかなーとぼんやり思っていますので、今は割愛します。でもその子は吉原遊郭の花魁でした(もしかしたら花魁ほどの身分はなかったかも)。
私は奈良県生まれなのですが、もともと父方の血筋は東京で、120年ほど前の先祖には主に浅草で活躍していた歌謡歌手の方もいたそうです。そして何故か東京に行くときはいつも浅草辺りに宿を取ってしまっていることに後になって気づいたり、なんとなくルーツがあるんだなぁとぼんやり思っていました。そしてUKIYO TEAを初めて正式に販売することになったのが東京で開催されるジャパン・ティーフェスティバルだったのですが、その開催場所がなんと偶然、台東区・浅草。やはり自分の中に存在する前世の子を想わずにはいられませんでした。

初めて浮世絵の美人画を観たときに雷が落ちたように衝撃にみまわれたのも、その日からずっと美人画に魅了されているのも、、きっとその子が私の中に存在するからだと思っています。

UKIYO TEAは「表現するお茶」がテーマなのですが、その表現は実はたったひとりの、自分の中に存在する前世の子に捧げるためにつくりあげてきました。だから、正直、どこまでも自己中なお茶です。私はUKIYO TEAをつくりあげるときに自分の中に存在する“この子”にだけは噓をつかずにつくろうと決めていました。
それは例えば茶葉の品質や味・香りはもちろん、パッケージなどUKIYO TEAをつくるすべてのものに対して妥協したり偽ったりしないこと。
ものづくりをするものにとって当たり前のことかもしれませんが、これはこの先もUKIYO TEAをつくり続ける限り変わらない想いです。

自分の中に存在する“子”。
これを具体的にキャラクター化したのがアカウント画像にもある花魁“紫(むらさき)”です。名前は自分の中でずっとなかったけれど絵にして可視化したことである日突然しっくりと降りてきた名前です。

この紫を描いてくれたのは実はイタリア人のアーティストなんです(Turino Pietro)。最初は日本の方にお願いしたのですが、どうしても表現したい雰囲気が引き出せなくて。その後も色んなアーティストの方を探しましたが見つからず、すべてを白紙にして自分で描くか、、、と途方に暮れていた時に、たまたまわたしがInstagramに投稿した浮世絵の写真にいいね!をくれたことがきっかけで出会いました。

彼の絵を見たとき、直感でこの人なら私の表現したいことをきっと具現化してくれると思いました。ただ、私は英語も全然喋れないし、翻訳サイトを駆使したとしても私の細やかな想いが伝わるか、それがとても不安でした。そしてダメ元で彼にDMを送ったのですが、彼はすぐに私の花魁を描くことに同意と興味を示してくれました。

彼はデザインをするときに花魁をどう描いて欲しいかということだけでなく、まだ出来上がってもいないUKIYO TEAのことも理解しようと努めてくれました。私が納得するまで細部にわたって何度も描きなおしたり調整を重ねてくれました。そのおかげで、どこも妥協しない、私の中に存在する“子”がイラストとして可視化できる状態で誕生しました。その花魁を見たときすぐに「あ、名前は紫だ。」と確信しました。
最初に描いてくれたのは「浮」のムードを表す紫でした。

そこからなかなか納得のいくお茶づくりができぬまま一年が過ぎました。紫を描いてもらってから販売する目途が立たなかったけれど、2023年に入り徐々に納得のいくお茶づくりができるようになってきたので、残りの2つのムード「憂」と「営」も描いてもらうことにしました。一年ぶりだったけれど、私の要求をすぐにイラストにしてくれました。しかも一度やり取りした時の私の要求など(細かい奴ってこと笑)を踏まえてデザインしてくれていることがよく分かりました。拙い英語だったと思うけれどその中で私の想いを素早く形にしてくれました。彼は本当に素晴らしいアーティストです。そのおかげで「浮」の時よりとても早い段階で「憂」と「営」のムードを表す紫が仕上がりました。

3つの紫が仕上がった時、まるで自分の中に存在する子が生き返ったかのような想いを抱きました。おなかの中のわが子が出てきたときに「やっと会えた」と思うような、そんな感覚にとても近かったです。
そして、イラスト化されたことでタイトルだけの時とは違うお茶で表現したいことも自分の中で明確になっていきました。

それぞれのタイトルには、わたしがそのお茶に込めたメッセージがあります。それは同時に花魁紫の感情を表す言葉でもあります。
このメッセージは中学生の頃から自分の感情を綴ってきた何冊ものノートや電子メモから言葉を紡ぎました。その中身は膨大で、短い文章に要約するのはとても難しい作業でしたが、何度も細かなニュアンスも調整してメッセージを完成させました。
パッケージにも記載しているので、お手に取られた際は是非そんなメッセージもお茶を飲みながら受け取ってもらえたら嬉しいなと思います。(それぞれのメッセージを読む


人生を諦めたいと思うほどに辛かった時、わたしに寄り添ってくれた紅茶と浮世絵の存在。
今UKIYO TEAをリリースすることになり、3つのタイトルそれぞれに表現は異なりますが、共通しているのは、UKIYO TEAを飲んでいる時だけ、その時だけは、あらゆる感情を持つすべての自分を許してあげてほしい。そんな想いを込めたこと。
わたしが中学生の頃から心の拠り所にしていた2つの存在を、今度はUKIYO TEAに託して、届ける側になる時がきました。
―届く人に届きますように。


Hitomi

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