UKIYO TEA立ち上げに至った経緯をわたしのこれまでの人生を含めてお話します。
私は中学2年生のとき、あるきっかけで紅茶が大好きになりそれから現在に至るまでほぼ毎日欠かさず飲んでいます。では、そのきっかけとは何だったか?そこからお話ししていきます。
時はさかのぼること18年前、中学2年生のこと。
多少の反抗期はありつつも私はどこにでもいる、普通の中学生でした。
バレーボール部に所属するも膝の先天性障害が発覚し、退部。
帰宅部のちょっと悪い子を演じてみるために髪の毛を染めて化粧をしてみて、香水なんかもふってみる。
今思えば中学生してるな〜って感じの、普通の、田舎の学生でした。
そんな私があるとき学年でもイケメンと噂の男の子に告白され、初めて彼氏ができたことで人生が動き出します。(ちょっと大げさ笑
はじめて付き合ったし、うれしかった。
普段マンガは読まないけれど、どうやって恋愛したらいいのか少女マンガを友達に借りてみて「ふーん」って思ってみたり。恥ずかしいけれどキラキラ恋愛ライフの始まりみたいな気がしていました。
でもわたしに待ち受けていたのはそんなキラキラとは全く違うものでした。
わたし「おはよう」 ― 友達「・・・」
そう。イケメンと噂の彼と付き合った代償にわたしに待っていたのはこれまで仲良くしていたはずの女友達からのイジメでした。それも仕方ない。彼は友達の元彼でもありました。
最初は挨拶を無視される程度だったけれど、それもだんだんエスカレートしていきました。その内容はもう想像にお任せしようと思います。でも、当時の私にとっては耐え難いものでした。
中学生の頃って、今はどうなのか分からないけれど、田舎の私にとっては、その学校の世界が自分の世界の全てでした。逃げたくても逃げ場がなくて、両親にはバレたくないし、学校を休むことなんて許されない。でも、朝は毎日やってくる。
しかもその彼氏ともすぐにお別れになってしまって、自分に残ったのはイジメだけでした。死にたいと思うぐらい毎日苦しかった。でもそんな勇気はなくてやっぱり生きたくて…
そんな中で、自分を唯一癒してくれた存在。裏切りもしないし、イジメてもこない。ただ、ただ、癒しの時間をくれた存在。それが「紅茶」でした。
初めて飲んだのは、母が何気なく買ってきたリプトン、ピーチの香りがついたフレーバーティー。
13歳、秋。
今でもその時のことは鮮明に覚えています。
耐熱ガラスのコップにティーバッグを浸す。
じんわりとひろがっていく紅い茶色、抽出された紅茶。
甘い気がするのにジュースみたいな甘さとは違って香りで甘味を楽しめるお茶。それを淹れて待つ時間、蓋を開けると漂うなんともいえない幸福な香り、甘いのに罪悪感もなくてスーっと身体に溶けていく。私は初めて飲んだその日から紅茶の虜になっていました。
紅茶を飲んでいる時だけは心の底から癒されてどんな自分だって許せる気がしました。
イジメられている自分も、そんな自分のことが大嫌いな自分も、存在していいんだって、そう思える気がしました。
紅茶に出会った日以降、家のストックがなくなるたびに母の食料品の買い物について行っては、スーパーで買える紅茶を買いました。例えスーパーでも色んな種類が選べるのも私にとっては楽しかったのです。
最初はジュースを買うようにフレーバーで選んでいたけれど、そのうち産地も気になるようになり、アルバイトをして自分で買えるようになってからは世界中でブランド化されたラベルの紅茶を色々と飲み比べるようになり、その次は製茶の仕方が気になるようになり、、、
こうして私の紅茶ライフは中学2年生の頃から日常の中に、自然と出来上がっていきました。
傷ついた心を癒してくれたことが最初のきっかけだったけれど、その「癒し」の紅茶は今や特別なこととして、というより自分をちょっとだけ大切にできる、毎日の、日常の、たった少しの時間として存在していて、ずっと続いてきたのもきっと趣味というまでもなく、ただ毎日わたしと共にあったから。
それはこの先もきっと変わらない。
そして、同じくこの中学2年生の頃、そんな気分に浸れる、もう一つの大切なものに出会います。
それが「浮世絵」でした。
つづく